大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(ツ)5号 判決

上告人 小堀孝

被上告人 岩崎たみ 外七名

主文

原判決を破棄し、本件を東京地方裁判所に差戻す。

理由

上告代理人松島政義の上告理由第一点について。

原審が確定した事実によれば、被上告人等は、上告人が訴外草野静夫に譲渡した借地権が、同人の死亡により訴外草野佳子外二名に承継され、さらに同人等より訴外岩崎正喜に譲渡された上、同人の死亡で被上告人岩崎たみにおいてこれを承継取得した旨主張し、上告人の草野静夫に対する借地権譲渡契約解除の効果を争つているというのであるから、原判決が被上告人等の右主張を、民法第五百四十五条第一項但書に関するものとしてこれを取上げ判断しても、弁論主義に反する違法なものということはできない。所論は理由がない。

同第二点について。

民法第五百四十五条第一項但書にいう「第三者」とは、借地権について云えば、単に権利を取得した者では足らず、借地権取得について対抗要件を具備した者たるを要するものと解するのが相当である(大正十年五月十七日大審院判決民録二十七輯九百二十九頁、昭和三十三年六月十四日最高裁判所、集十二巻九号千四百四十九頁参照)。

然るところ、原判決は、昭和二十七年十二月十一日、本件借地権が上告人より草野静夫に譲渡され、その旨の登記が経由されたこと、その後本件借地権が草野静夫の死亡により同二十八年一月二十五日草野佳子外二名に相続され、同人等よりさらに訴外岩崎正喜に譲渡されたこと、並びに、岩崎正喜の死亡により同三十六年二月十五日被上告人岩崎たみが右借地権を承継取得したことの事実を確定しているけれども、被上告人岩崎たみにおいて借地権取得の対抗要件を具備したとの点については、被上告人等よりの主張もなく且つ証拠によりこれを認定することなく、しかも、被上告人たみの前主亡正喜は地主たる実相院より上告人の承諾がないからとの理由で借地人名義の変更を拒絶されている事実を認定しながら、いわゆる借地権なるものは単なる権利ではなく、債務を伴うものであり、従つてその債務につき権利を有する地主(賃貸人)の承諾なき間は、譲渡当事者間にのみ譲渡の効力を認め得るにすぎず、地主その他の第三者に対抗し得ないものであるに拘らず、上告人よりの譲渡を根拠として漫然被上告人たみを民法第五百四十五条第一項但書の「第三者」にあたるものと判断したことは、審理不尽、理由不備の違法あるものというべく、論旨はこの点において理由があり、原判決は破棄を免がれない。

よつてその余の上告理由に関する判断をまつまでもなく原判決を破棄し本訴請求の当否についてさらに審理をなさしめるため、民事訴訟法第四百七条第一項により本件を原裁判所に差戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 毛利野富治郎 石田哲一 安国種彦)

別紙

上告理由書

第一点民訴一八六条にいふ「当事者ノ申立サル事項ニ付判決ヲ為スコトヲ得ス」とは、広義の弁論主義すなわち「訴訟物」を意味するものか、それとも狭義の弁論主義すなわち法規の要件事実は口頭弁論において当事者の主張がないかぎりその事実の存在を認定しその法規を適用してはならないといふ民事訴訟法上の弁論主義の原則をも含むものであるかは説の分れるところであるが、民訴一八六条の意味するものがどうであるかにかゝわらず我国民訴法上後者の原則が要求されていることは、たとえ不文の法理としても、すでに定説となつている顕著な理念である。ところで原判決はその理由の中で、昭和三九年九月二九日ごろ内容証明郵便で上告人(被控訴人)がした売買契約解除の効力に対し「そこで右解除が有効か否かについて検討すべきことになるが、控訴人等は仮に右解除が有効としても被控訴人は控訴人岩崎に対抗できず本件借地権を回復取得することができないと主張するので判断する。」とし、「被控訴人の主張する昭和三九年九月二九日ごろなされた契約解除が有効としても、右解除以前に岩崎正喜ならびに控訴人岩崎が本件建物および借地権を転得していたのであるから、民法五四五条第一項但書により被控訴人は第三者たる控訴人岩崎の権利を害し得ず被控訴人は本件借地権を回復し得ない関係にある。」と判示しているのであるが、「控訴人等は仮に右解除は有効としても被控訴人は控訴人岩崎に対抗できず、本件借地権を回復取得することができない」と主張した事実は借地権に対するかぎり絶対にないものである。被上告人(控訴人)がかかる主張を絶対にしておらないことは、上告人(被控訴人)が右述の契約解除を主張したのは、昭和三九年一〇月一四日付被控訴人準備書面の「第二」の「二」の(二)に基くものであるから、その後の口頭弁論調書および控訴人提出の準備書面中に果して、そのような主張が現はれているか否かを検討すれば足りるものであるところ、そのような主張は少くとも借地権に関するかぎりこれ等書類のどこにも絶対に存在しておらないのであつて、原判決の右部分は上告人(被控訴人)にとつては全くの不意打ちであり、上告人は本件借地権に関し原判決に民法五四五条第一項但書が飛び出しているのを読んで肝をつぶした次第である。原判決はこの点において弁論主義に違反した不意打ちの違法があり(少くとも釈明権不行使および審理不尽の違法があり)破棄をまぬがれないものである。

第二点民法五四五条但書の「第三者ノ権利」とは、「対抗要件を具備した」第三者の権利にかぎることは通説判例の一致するところである(大判大正一〇、五、一七、民録二七、九、二九頁、最高三三、六、一四、法曹時報一〇、八、九八頁・我妻各論上、一九八頁。柚木、各論二九八頁等々)。しかるに控訴人(被上告人)岩崎の本件借地権の取得は未だに賃貸人たる宗教法人実相院の承諾を得ていないことが記録上明らかになつており、従つて現在のところ右岩崎は借地権を有する第三者とはいえない者であるばかりでなく、訴外草野との間に確定日附ある証書によつて譲渡されている事実の証明も顕出されておらないから(民法第四六七条二項)未だ内部的譲渡についても対抗要件を欠缺している。しかも被上告人岩崎等は建物の売主である亡草野が、上告人に対し未済代金のあることを充分知つているのに、これを無視し上告人を出し抜いで直接地主から借地すべく、実相院の田中住職にはたらきかけていたもので(第一審証人田中泰順尋問調書参照)、本件訴訟の第二審半ばに到るまで多年の間上告人に対しては一顧もしておらない不信行為者である。このような被上告人岩崎が民法第五四五条一項但書によつて保護されるということは、同法条や民法第一条二、三項に照し、法理的にも情状的にも絶対に許さるべきではない。尤も地上建物には取得登記がなされているので、建物が同条同項や民法一七七条によつて保護されることには異議はなく、それ故にこそ上告人は建物所有権の復帰を主張しなかつたのであつた。しかも我が法制は建物を敷地所有権又は借地権とは独立の物権として取扱つているりであるから、右建物が買取請求権等で保護されることのあるのは当然であるとしても、それは本件借地権が被上告人岩崎のため、民法五四五条一項但書による「権利」たり得ないということとは全く別個の問題である。しかるに原判決が本件借地権に関し、被上告人岩崎が民法五四五条一項但書の権利者に該ると判示したことは、(1)民法五四五条一項但書の解釈を誤つたものであり、(2)民法一条二、三項にも違反してをり、到底破棄をまぬかれないのである。

第三点原判決が上告人の主張した借地権留保づき売買契約を否定し、失権約款づき売買契約を否定したのはまだしもとしても、無催告契約解除の特約までを否定したことは、甲第四号第四条の「乙が第二条の最後残金を支払はざるときは甲は売買契約を解消し違約金として本契約金を取得するものとす」との文言(文理的表現力)と絶対に相容れないものである。原判決はこれを否定した根拠としてただ一つ「第四条の文言に従えば右残金の支払期限の定めもないものであつて」としているだけで他に何等の理由も示さないのであるが、残金支払いの期限については右証書の第二条で詳しく定められており、買主としては本件建物を担保として、金融機関から金融を受けて支払ふ外金のできる見込がなかつたため、右期限は不確定期限となつていたのであつた。従つて買主の方で金融機関から金融を受けることを打ちきつたり、金融を受ける見込がなくなつたときは、解除権の発動ができる趣意であることは、何人においても読み取り得らねばならない明々白々たる事理であるのに、原判決が単に「右残金の支払期限の定めもないものであつて」なる措辞で右第四条の表現する明白なる文意をにべもなく否定していることは、経験則違反又は理由不備の違法がある。

そして

(1)  買主(草野静夫)が急死した。

(2)  売主(上告人)のあつせんで大同信用金庫から借入金をしそれで残代金の支払いをすることにきまつており、その借入れのため同金庫に積立ててあつた積立預金を静夫の相続人が勝手に払戻し、金融を受けることを打切つてしまつた。

(3)  高利貸である二人の亡静夫債権者が本件建物に対し、仮差押をしたので(甲第六号証甲区六番、七番参照)、本件建物を担保に金融機関から借入金のできる可能性は絶望になつた。

とき、売主たる上告人として、自己の立場を守るのには本件借地権を確保しこれに物を言はせる以外に手段がなかつたことは誰にも判る常識であるから、当時の上告人がいたずらに手をこまねて亡静夫相続人等の代表者である草野佳子に対し本件売買契約解除の趣旨を表示しないといふことは考えられないものである。原判決も当時上告人が「あるいは本件建物の買戻を申し出たりしていたが」と判示していることは、とりもなほさず当時上告人が黙示的に契約解除を申出ていた事実を無意識の間に認めているものである。固より一般人といふ者は法律家のように終始法律的に割り切つた行動のみをするものではない。一般普通人に法律の教条的行為を求めるのはそもそも無理な注文である。契約解除の表現はしたが、しかしまるく治まるのならそれもよろしい。もし借地権を主張して訴訟したり明渡しを求めたりなどをしなくてすむならさうしたいとの考えも併存し、そのための話合いもした事実があつたとしてもそれは少しも不思議ではないのであり、そもそも人間とはさうしたものなのである。それは契約解除をしている者としての行動と少しも矛眉しないのである。経済的生物である普通人が、せめて借地権だけは確保できるといふ自己を守るための唯一の地位を顧みないで現に高利貸等から差押られており、支払能力がほとんど望みのなくなつている買主の相続人等を相手にして、残金取立ての一線にばかり固着していたように判示し、これに反する上告人の証言を採らなかつた原判決は、あまりにも融通性を欠いており、著しく庶民の生活感情に合はないものである。原判決が、無催告解除の特約を否定し、進んで契約解除の告知をした事実を否定したことは、明らかに人間社会の常識に反しており、理由不備又は経験則違反としてこの点でも破棄されねばならないと思料する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例